AI時代に消すべき属人化と、むしろ残すべき属人化
「私がやった方が早い」
中堅社員や管理職なら、一度はそう思ったことがありますよね?
正直に言えば、これは間違っていません。
新人に説明すれば10分かかる。自分なら5分で終わる。
忙しい日に限って、確認や修正まで増える。
今日の仕事を終わらせるだけなら、自分でやる方が合理的です。
問題は、今日も自分、明日も自分、来月も自分、一年後も自分になることです。
だから問うべきなのは、「自分でやるべきか、任せるべきか」ではありません。
「いつまで自分がやるのか?」
問い直すべきは、これです。
「私がいないと回らない人」の正体
訪問看護の現場にも、いわゆる「仕事ができる人」がいます。
制度について何でも知っている
利用者さんの経緯をすべて覚えている
難しいケースを一人で処理できる
スタッフからの質問にも、すぐ答えられる
私自身、管理者として、まさにこういう働き方をしてきたところがあります。
誰かに任せて確認するより、自分で処理した方が早い。
説明する時間も惜しい。
そうやって目の前の仕事を回収しているうちに、気づけば自分に仕事が集まっていました。
ところが、その人が休むと、途端に現場は止まります。
「あの書類はどこですか?」
「この利用者さんの経緯を知っていますか?」
「この場合、誰に連絡すればいいですか?」
結局、休みの日に本人へ連絡が入る。本人も思います。
「やっぱり、私がいないと回らない」と。
一見すると頼られている優秀な人です。
しかし、組織全体から見れば、その人自身が組織の成長を阻む「ボトルネック」になっている可能性があります。
「個人として仕事ができること」と「組織を強くすること」は、決して同じ能力ではありません。
ただし、ここで「だから属人化は悪だ」と結論づけるのも、少し乱暴です。
属人化には「二種類」ある
医療や介護の仕事には、簡単にマニュアル化できない能力があります。
利用者さんのわずかな表情の変化から違和感を察知する
家族が言葉にしていない不安を読み取る
踏み込むべき場面と、あえて待つ場面を判断する
難しい内容を、相手が受け止められる言葉に変える
同じ言葉を使っても、ある人が話すと反発され、別の人が話すと納得してもらえることがあります。10年経験した人と入職1か月の人が、まったく同じ判断をできる必要はありません。「その人だからできる」という価値は、現場に確かに存在します。
一方で、こういう状態はどうでしょうか。
「あの人しかファイルの場所を知らない」
「あの人しか手順を知らない」
「あの人しか過去の経緯を知らない」
「あの人がいないと承認が進まない」
これは専門性ではありません。単に「情報」や「手続き」が、その人に張り付いているだけです。
即ち、属人化には二種類あります。
属人化の分類①
情報の属人化・・・その人にしか情報ややり方が分からない状態
→可能な限り消す(標準化・仕組み化)
属人化の分類②
価値の属人化・・・その人にしか出せない非言語的な対人・判断価値
→むしろ研ぎ澄まし、磨くべき領域
属人化そのものが悪いのではありません。悪いのは、「消すべき属人化」を放置することです。
育成は「効率化」ではなく「投資」である
「それなら、どんどん人に任せればいい」
そう簡単な話でもありません。任せれば時間がかかります。説明が必要になり、確認作業が増え、間違いが起きる可能性もあります。管理者の負担は、一時的にむしろ増えるのが現実です。
特にリソースがギリギリの現場では、「育てる余裕なんてない」という言葉にもリアリティがあります。
だからこそ、育成を「単なる業務の効率化」だと捉えてはいけません。育成とは、将来のために今の効率を一時的に捨てる「投資」です。
今日だけを見れば、自分でやる方が圧倒的に早い。それでも任せるのは、今日を楽にするためではありません。半年後、一年後に、自分がいなくても一定の判断ができる人と組織をつくるためです。
仕事を抱える「個人」だけを責めてはいけない
ただし、仕事を抱え込んでしまう人の性格だけを問題にするのも間違いです。これまで組織は、どんな人を評価してきたでしょうか。
たくさん仕事を処理した人
トラブルを一人で解決した人
質問に何でも答えられる人
頼まれた仕事をすべて引き受ける人
こうした人を「責任感がある」「仕事ができる人」と賞賛してきたのではないでしょうか。
一方で、マニュアルを作った人、後輩を育てた人、自分に集まっていた質問を減らした人、誰でも判断できる状態をつくった人の成果は、数字に表れにくい構造があります。
「自分の仕事を減らした人」より「仕事を抱え込んだ人」が評価される仕組みになっているなら、優秀な人に仕事が集まり続けるのは当然です。仕事を抱える個人を責める前に、そうさせてきた組織の評価制度を疑う必要があります。
AI時代に直面する「価値の下がる属人性」
AIは今、検索、要約、情報整理、マニュアル作成、定型処理を急速に引き受け始めています。AIが得意なのは「言語化・標準化できる仕事」です。
これまで「制度をたくさん知っている」「資料を素早く作れる」といった能力は、それだけで価値を持ちました。しかし今後、その価値は下がり続けます。
検索すれば分かることを一人だけが覚えている
毎回似た資料を一人だけが作っている
決まった手順を一人だけが処理している
こうした「仕組みに還元できる属人性」の価値は失われていきます。
一方で、正解のない場面で判断すること、相手との関係をつくること、場の空気を読みながら言葉を選ぶこと、言葉になる前の違和感を察知すること。こうした「仕組みにしきれない属人性」の価値は、相対的に跳ね上がります。
もちろん、「言語化できないから専門性だ」とあぐらをかいてはいけません。暗黙知も可能な限り言葉にし、判断基準を共有し、再現できる部分は仕組みに移す。その努力を尽くしたうえで、それでも泥臭く残るもの。そこにこそ、人間の真の専門性があります。
代替できない仕事だけを残す
これからの「本当の意味で仕事ができる人」とは、単に手足を動かせる人でも、丸投げする人でもありません。「仕組みにするべき仕事」と「人に残すべき仕事」を峻別できる人です。
情報、手順、記録、定型資料、承認ルートは、自分から切り離して組織やAIへ渡していく。そのうえで確保した時間で、高度な判断、対話、信頼関係の構築といった、正解のない領域に自分のリソースを投入する。
今一度、手元の仕事を見直してみてください。
その仕事は、本当に「あなた」にしかできない仕事でしょうか。
それとも、単に「あなたしかやり方を知らない」だけでしょうか。
両者を切り分けない限り、忙しさは専門性の証明になり、仕事を抱えることが勲章であり続けます。
「私がいないと回らない」を誇る必要はありません。かといって、「私がいなくても何も変わらない」存在を目指す必要もありません。
最も価値があるのは、単なる「便利な何でも屋」ではありません。代替可能な仕事を手放し続けた結果、どうしても代替できない価値だけが残っている人。
それこそが、これからの時代に目指すべき「仕事ができる人」の姿なのだと思います。




単に「属人化=悪」と決めつけるのではなく、消すべき「情報の属人化」と、むしろ磨くべき「対人・判断における価値の属人化」に整理する視点にすごく納得しました。情報や手順の抱え込みを仕組みに移しつつ、その人だからこそ発揮できる専門性に力を注ぐ整理は、現場のマネジメントにおいて非常に明快です。