「見た目で判断するな」は正しい。でも、仕事では通用しない。
「人を見た目で判断してはいけない。」
誰もが一度は教えられた言葉だと思います。
私も正しいと思っています。
髪の色で、その人の能力は決まりません。
ネイルをしているから、不真面目なわけでもありません。
服装が少し個性的だからといって、仕事ができないわけでもありません。
それでも、私はこう思っています。
仕事では、人は能力を知る前に、見た目から信頼できるかを判断しています。
これは良いことでも、悪いことでもありません。
私たちが、実際にそうしているという話です。
「茶髪は禁止」に、私は賛成できない
医療や介護の現場では、髪色やネイルについて定期的に議論が起きます。
「茶髪はどこまでなら許されるのか。」
「看護師のネイルはダメなのか。」
「事務職はよくて、現場職はなぜダメなのか。」
私は、髪色そのものにはあまり興味がありません。
茶髪だから不真面目だとも思いません。
ネイルをしているから利用者さんを大切にしていないとも思いません。
だから、「医療従事者だから黒髪であるべき」という考えには賛成できません。
しかし同時に「本人の自由なのだから、好きにすればいい」とも言い切れません。
なぜなら、仕事には必ず相手がいるからです。
自分らしさは、自分だけでは完成しない
髪型や服装は、自己表現です。
自分がどんな人間であるかを、自分なりに表すものです。
しかし、仕事の場では、表現した内容を受け取る人がいます。
自分は「個性」として表現したつもりでも、相手には「不安」として伝わることがあります。
反対に、自分では地味すぎると思っている服装が、相手には「誠実そう」と映ることもあります。
ここには、少し厄介な問題があります。
発信する意味は自分で決められても、受け取られる意味までは自分で決められない。
これは身だしなみに限りません。
話し方も同じです。
メールの返信速度も同じです。
表情も、姿勢も、言葉遣いも同じです。
「そんなつもりではなかった」は、自分の意図を説明する言葉にはなります。
しかし、相手が受け取った印象を消す言葉にはなりません。
人は、能力が分からないから見た目を見る
医療従事者と初めて会った利用者さんは、その人の能力を知りません。
資格は持っているかもしれません。
経験年数を聞くこともできます。
しかし、目の前の人が本当に信頼できるかは、まだ分かりません。
だから人は、分かる情報から判断します。
表情。
声の大きさ。
言葉遣い。
服装。
髪型。
爪。
立ち居振る舞い。
それらは能力そのものではありません。
それでも、能力が分からない段階では、数少ない判断材料になります。
これは医療だけの話ではありません。
初めて会う営業担当者。
子どもを預ける保育士。
家を任せる不動産会社。
相談を持ちかける弁護士。
採用面接に来た応募者。
私たちは、誰かの能力を十分に知る前に、その人が醸し出すものから判断しています。
つまり、人は見た目で能力を決めているのではありません。
見た目を使って、まだ見えない能力を推測しているのです。
医療では、なぜ見た目が強く問われるのか
医療や介護では、この傾向がより強くなります。
利用者さんやご家族は、心にも身体にも余裕がある状態で私たちに会うとは限りません。
病気がある。
痛みがある。
障害がある。
これからどうなるか分からない。
家族も疲れている。
そのような状態では、意外性や個性を楽しむ余裕が少なくなります。
人は不安になるほど、分かりやすい安心を探します。
落ち着いた声。
丁寧な態度。
清潔そうな服装。
医療従事者らしい振る舞い。
それが本当に技術力と結びついているとは限りません。
しかし、不安な人にとっては、
「この人なら任せても大丈夫かもしれない」
と思うための手掛かりになります。
だから私は、医療で問われているのは、髪色そのものではないと思っています。
不安な相手に対して、安心をどう伝えるかが問われているのです。
私は学生時代、足が汚いと言われた
学生時代、看護学校の学科長から注意されたことがあります。
「短パンから見えている足が汚い。ズボンを履きなさい。」
当時の私は納得できませんでした。
ちゃんと洗っている。
不潔ではない。
そう思っていました。
おそらく、言い方にも問題はあったと思います。
しかし、今になって考えると、あれは衛生の話だけではなかったのでしょう。
患者さんからどう見えるか。
医療を学ぶ者として、どんな印象を与えるか。
そこまで含めた話だったのだと思います。
自分が清潔だと思っていることと、相手から清潔そうに見えることは違います。
この違いは、医療現場で働くようになってから、何度も感じました。
清潔には、科学と感情がある
医療に必要な清潔には、二つあります。
一つは、感染を防ぐための清潔です。
手を洗う。
爪を短くする。
器具を適切に扱う。
これは、科学的な清潔です。
もう一つは、相手に安心してもらうための清潔です。
整えられた髪。
落ち着いた服装。
穏やかな表情。
丁寧な話し方。
こちらは、感染を防ぐものではありません。
相手の不安を小さくするものです。
私は、この二つを分けて考える必要があると思っています。
感染対策として必要なら、明確な基準を設ける。
組織として求める印象があるなら、その目的を説明する。
「医療従事者らしくないから禁止する」では、誰も納得しません。
何を守るためのルールなのか。
そこを言葉にしなければ、身だしなみの規則は、ただ人を縛るものになります。
「自由」と「信頼」は、同じ方向を向くとは限らない
私は、仕事では自由に制限が必要だと言いたいわけではありません。
むしろ、意味の分からない規則は見直すべきだと思っています。
黒髪でなければ信頼されない時代ではありません。
髪色や服装に対する価値観も変わっています。
ただし、自由に表現することと、相手から信頼されることは、いつも一致するとは限りません。
自分らしくいたい。
相手にも安心してほしい。
この二つの間には、ときどき緊張が生まれます。
そのとき、
「自分の自由だから」
だけで終わらせるのも違う。
「昔からのルールだから」
だけで押さえつけるのも違う。
私は、そこで考えることこそが、仕事なのだと思っています。
自分は何を表現したいのか。
相手は何に不安を感じるのか。
その両方を見ながら、どこに折り合いをつけるのか。
身だしなみは、服装の問題ではない
私は以前、身だしなみとは、決められた基準を守ることだと思っていました。
今は少し違います。
身だしなみとは、
自分がどう見られたいかではなく、相手にどう受け取られるかまで考えることだと思っています。
これは、髪色だけの話ではありません。
部下への言葉遣い。
利用者さんへの表情。
取引先への返信。
会議での態度。
SNSでの発信。
私たちは、自分が思う以上に、たくさんのものを相手に伝えています。
そして信頼は、能力だけでできるものではありません。
能力を知ってもらう前に、
「この人の話を聞いてみよう」
と思ってもらう必要があります。
だから私は、「見た目で判断するな」という言葉は正しいと思っています。
しかし、それを理由に、見られ方を考えなくてよいとは思いません。
人を見た目だけで判断してはいけない。
でも、
自分が見た目から何を伝えているかには、責任を持った方がいい。
それが今の私の考えです。
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自分が発信したい意図と、相手が受け取る印象は必ずしも一致しないという指摘にとても納得しました。「自己表現としての自由」を大切にしつつも、まだ技術や能力が伝わっていない段階では、身だしなみが相手にとって貴重な安心の判断材料になるという整理は、仕事での振る舞いを考えるうえで非常に大切ですね。