最近、CodexでWebアプリを作ることにハマっていまして、子ども向けの算数学習アプリを自分で作っています。
きっかけは、小学校2年生の娘です。
娘には、側頭葉てんかん、ASD、軽度知的障害の診断があります。発話にも少し遅れがあります。
今の学習状況としては、数を数えること自体に間違いが多く、足し算や引き算もかなりサポートが必要です。
そんな娘が、一人でも取り組めるものを作れないかな。
私が1対1で教えていた時期もあったのですが、なかなかうまくいかなくて。
それなら、娘が自分のペースで進められるものを作ってみよう。
そう思ったのが始まりでした。
「答えを教えるアプリ」にはしたくなかった
作っているのは、0〜10の足し算、引き算、掛け算、割り算を扱うアプリです。ただ、最初から具体物を見せて数えさせるものにはしたくありませんでした。
例えば、4+2=?
まずは数式だけを見せます。
分かれば、そのまま答える。
分からなければ「わからない」を押す。
そこで初めて、4個と2個の具体物が出てきます。
それを子ども自身が一つの箱に集める。
そして、「この箱の中に何個ある?」と聞きます。
1、2、3、4、5、6。
自分で数えたあとに、4+2=6という数式へ戻ります。
私が作りたいのは、答えを教えるアプリではありません。
分からない数式を、自分が分かる形まで一度ほどいて、そこからもう一度数式へ戻るアプリです。
実際に使ってもらうと、私が口を出したくなった
完成途中のアプリを娘に使ってもらいました。
楽しそうに取り組んでいます。
これは素直にうれしかったです。
ところが、横で見ている私に別の問題が起きました。
娘が画面上のものを黙って数えている。
すると、「声に出して数えて」と言いたくなる。
操作が止まると、「そこを押して」と言いたくなる。
間違えそうになると、「もう一回数えてみたら?」
と言いたくなる。
でも、そもそもこのアプリは、音声説明を聞きながら、基本的には子どもだけでも進められるものを目指しています。
親が横からずっと教えるのであれば、アプリを作っている意味が薄れてしまいます。
理学療法士として見ると、少し違って見えた
私は理学療法士です。
そこで一度、親としてではなく、理学療法士として娘の様子を見てみました。
すると気になったのが、手・目・数詞を使った協調運動でした。
例えば、画面に3個のものが並んでいる。
大人なら、
「1」と言いながら1個目を指す。
「2」と言いながら2個目を指す。
「3」と言いながら3個目を指す。
何気なくやっています。
でも娘の場合「1、2、3」と数詞は進んでいるのに、指が追いついていなかったり、指は次のものを触っているのに、数詞がずれていたりする。
そうすると、3個あるものを数えているのに、答えが2になったり4になったりします。
単純に「3まで数えられない」という話だけではなさそうです。
対象を見ること、手を動かすこと、数詞を発すること。そして、それらを一つずつ対応させながら進めること。
この協調運動に難しさがあるように、理学療法士としては見えています。
「声に出して」と言うことは、本当にサポートなのか
ここで、私が横から言っていた「声に出して数えて」という言葉が気になりました。
親として見ると、黙って数えているから「声に出した方が分かりやすいよ」と言いたくなります。
でも理学療法士として見ると、少し違います。
娘にとっては、
対象を見る。
指を動かす。
数詞を発する。
それらを一つずつ対応させる。
この一連の協調運動そのものに難しさがあるのかもしれません。
だとすると、横から私がタイミングを作って「ほら、1、2、3……」と一緒に数えれば、その問題には正解できるかもしれません。
でも、娘自身が目・手・数詞を合わせようとする時間は減ります。
ここで、ちょっと考えました。
できないから助けるのか?それとも、できないからこそ、少し待ってみるのか?
「一組」が分からない
別の場面でも同じことがありました。
アプリから「2個で一組つくってみよう」という音声が流れます。
娘を見ると、どうも「一組」の意味が分かっていないようでした。
親としては、すぐに「一組っていうのはね……」と説明したくなります。
でも、ここでもいったん待つことにしました。
画面上で2個をまとめる。
そのあと「もう一組つくってみよう」と音声が流れる。
また2個をまとめる。
これを何度か経験すると「ああ、これが一組なのか」と、言葉と操作がつながる可能性があります。
だったら、「一組」という言葉を分かりやすい別の言葉に置き換えてしまうより、言葉は残したまま、操作や視覚情報から意味を理解できるようにした方がいいのではないか。
そんなことも考えるようになりました。
分からない時間を、どこまで残すのか
もちろん、何度やっても「一組」で止まるのであれば、アプリ側を修正する必要があります。
何度数えても目・手・数詞がずれるのであれば、別の補助が必要かもしれません。
娘には娘なりの難しさがあります。
だから「待っていれば、そのうち全部できるようになる」と考えているわけではありません。
必要なサポートは必要です。
ただ、一度止まっただけで「分かっていない」と判断して大人が答えを教えてしまうのも違う気がしています。
止まっている数秒の間にも、
画面を見る。
音声を聞き直す。
触ってみる。
間違える。
もう一度やる。
そんなことが起きています。
親から見ると「分かっていない時間」でも、本人にとっては、分かろうとしている途中の時間なのかもしれません。
親が口を出したくなった場所を記録してみる
最近は、娘が間違えた問題だけではなく、私が口を出したくなった場所も気にするようにしました。
「声に出して」と言いたくなった。
「そこを押して」と言いたくなった。
「一組っていうのはね」と説明したくなった。
その瞬間には、娘が一人で進むために必要な何かが隠れている可能性があります。
アプリの説明が足りないのかもしれない。
視覚的な補助が必要なのかもしれない。
目・手・数詞を協調させるための時間が必要なのかもしれない。
あるいは、何度か経験すれば自分で分かることなのかもしれない。
だから、すぐには修正しないものもあります。
何度か使って、娘がどう変わるのかを見る。
それもアプリを作るうえでの大事なデータだと思っています。
アプリを作っていたら、親の方が待てなかった
最初は「娘が一人でも算数を学べるアプリ」を作っているつもりでした。
ところが実際に使ってもらうと、子どもより先に私の方に課題が見つかりました。
私は、待つのが苦手でした。
子どもが止まると助けたくなる。
間違える前に教えたくなる。
分からない言葉があれば説明したくなる。
親としては、その方が早いからです。
でも、理学療法士として娘を見ると、その「うまくできない時間」に、何が難しいのかがよく見えます。
視線と手の動きがずれる。
手の動きと数詞がずれる。
言葉と操作がまだ結びついていない。
一度間違えて、もう一度やってみる。
そこを全部大人が補ってしまえば、問題には早く正解できます。
でも、本人が自分で処理する部分まで減らしてしまう可能性があります。
だから今は、まず少し待つ。
「わからない」を使う。
もう一度音声を聞く。
触ってみる。
それでも難しければ助ける。
そのくらいの距離で見ています。
算数学習アプリを作っていて、一番考えるようになったのは足し算でも割り算でもありませんでした。
支援することと、本人が自分で処理する部分を残すことを、どう両立するのか。
そして、子どもが「分からない」と止まった数秒を、大人はどこまで待てるのか。
娘の横で、つい口を出しそうになるたびに、今も考えています。
ちなみに、この算数学習アプリはまだ開発途中です。
娘に実際に使ってもらいながら、「ここは分かりにくい」「ここは一人でもできた」を見つけて、少しずつ修正しています。
将来的には販売することも考えています。
もし、同じように「算数につまずきがある子どもが一人でも取り組めるもの」に興味がある方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントなどでお声がけください。
実際に子どもと関わっている保護者や支援者の方から、「こんなところで困っている」というお話も聞いてみたいです。









黙って数えている娘さんに「声に出して」と言いたくなる親心と、理学療法士として立ち止まったときに「目と手と言葉を同時に合わせる協調運動の難しさ」に気づかれる場面に、深く頷かされました。大人が横からタイミングを作ってあげればその場は正解できても、子ども自身が感覚をすり合わせようとする大切な時間を奪ってしまうのですね。できないからと安易に手助けするのではなく、その子の身体の中で何が起きているのかをじっと見つめる専門職の眼差しに、強く胸を打たれました。